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もう一人のイワン雷帝(ナチ収容所の死刑執行人)

ナチのイワン雷帝

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第2次大戦のとき、多くのユダヤ人が強制収容所で過酷な生活を強いられ、また殺されたことはよく知られている。ナチスは残虐の限りを尽くした。
(写真はアウシュビッツ)

戦後の戦犯捜索

しかし、大戦が終わったあと、時代が変わり、人々の立場も変わった。
イスラエルはナチスの戦争犯罪人を必要に追いかけ、世界のどこに隠れていようとも、見つけ出して、裁判にかけようと追跡の手を緩めない。
大戦中、イワン雷帝と恐れられた人物がいた。ナチス・ドイツの強制収容所で死刑執行人を務めた人物である。ナチスの収容所の多くの看守は、残虐で、冷血で恐れられていたが、その中で、際立っていたのがイワン雷帝と呼ばれていた男である。無数のユダヤ人を情け容赦なく虐殺した男である。

捕らえられたイワン雷帝

ナチ収容所の死刑執行人、もう一人のイワン雷帝と恐れられた人物思われる男をイスラエルが潜伏先で見つけ出し逮捕したというのだから、大変な騒ぎになった。

ジョン・デミャニューク被告の無罪判決と国外退去

彼が「イワン雷帝」として恐れられたあの人物だったかどうかをめぐり1970年代から長く論議となっていた。
イスラエル最高裁は93年ジョン・デミャニューク被告に証拠不十分で無罪判決言い渡した。
その後彼は以前住んでいた米国に戻っていたが、今度は米移民裁判所が、国外退去処分を命じる決定を下した。

イワン雷帝でないとしても・・・

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国外退去処分の理由は、大戦時の記録から、ジョン・デミャニューク被告があのイワン雷帝その人であるかどうかは確認できないが、彼が複数の強制収容所で看守を務めていたのは明白だ、とする米裁判所の判断が2002年に出され、そのため米市民権を喪失したのである。この結果、彼は出身地のウクライナかドイツ、ポーランドのいずれかに送還されることになる。
(この写真もアウシュビッツ)

イワン雷帝はなぞのまま?

被告側は上訴する見通しである。収容所で無数のユダヤ人を情け容赦なく虐殺した男、ナチのイワン雷帝は、いったい誰だったのか?
最終的な答えは出ていない。
このような人物の名前に雷という言葉が冠されることは、いろいろなことを考えさせらえる。雷の物理的被害、事故は悲惨ではあるが、ナチスのイワン雷帝がもたらした被害のような、悪、罪、暗黒は自然の災害の雷害には存在しない。

新たな証拠発見か?2008年11月

ナチス戦犯調査団体がジョン・デミャニューク氏がイワン雷帝と恐れられた人物であるとする新たな「証拠」を発見したと報じられた。

下記はその記事の引用である。
Fahndungsstelle fuer NS-Verbrechenは10日、ポーランドにあったナチスの収容所の元看守で、米国在住の男性について起訴に十分な証拠を得たと発表した。
同団体の予備報告書によると、
ウクライナ出身で米国在住のIvan Demjanjuk氏は、
1943年3-9月にポーランドのソビブル(Sobibor)絶滅収容所の看守を務めており、
「イワン雷帝」とあだ名されていた。
1950年代に米国に移住し名前をJohnに改名したDemjanjuk氏の身元は「100%」確定したと同団体のKurt Schrimm代表はAFPに語った。
Demjanjuk氏は1986年、イスラエルに引き渡され、2年後に
トレブリンカ(Treblinka)の収容所でユダヤ人数千人の殺害に加担したとして
死刑判決を受けた。
しかし1993年、イスラエルの最高裁は証拠不十分として判決を覆し、
Demjanjuk氏は米国に戻った。
同氏は戦争時の活動について虚偽の申告をしたとして米国の市民権をはく奪された。
Schrimm代表はソビブル時代のDemjanjuk氏の最新の調査はイスラエルでの裁判とは無関係だと述べた。(c)AFP

日本のアウシュビッツ平和博物館のサイト

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