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超人こそ稲妻である・・・ニーチェ

ツァラトゥストラはかく語りき(ニーチェ)より抜粋(岩波文庫)

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第1部(3)

あなたがたの罪が天の審きを求めて大声をあげているのではない。
叫んでいるのはむしろあなたがたの自己満足だ。
あなたがたの罪のけちくそさそのものだ!
だが、その舌であなたがたをやきほろぼすような稲妻はどこにあるのか?
あなたがたに植えつけられなければならない狂気はどこにあるのか?

見よ、わたしはあなたがたに超人を教えよう。
超人こそ、この稲妻、この狂気なのだ!

第1部(4)

わたしが愛するのは、人間たちのうえにかかっている暗雲から、
一しずくずつ落ちてくる重い雨滴のような人々である。
かれらは稲妻がくることを告知し、告知者として破滅するのである。

見よ、わたしは稲妻の告知者であり、雲から落ちる重い雨滴である。
そして、この稲妻の名こそ超人なのだ。

第1部(山の上の木)

ここで、青年は沈黙した。
ツァラトゥストラはかたわらの木を打ち眺めて、こう言った。
「この木はこの山の中にひとりさびしく立っている。
これは人間と動物を超えて、
高々と成長した。
たとえこの木が語ろうとしても、かれを理解できるものはいないだろう。
それほどまでに、高々と成長した。
いま、この木は待ちに待っている。---何をいったい待っているのか?
この木は雲の座にあまりにも近く達している。
この木はおそらく稲妻に打たれるのを待っているのだ。」
ツァラトゥストラがこう言ったとき、青年ははげしい身ぶりを示して、叫んだ。
「そうなのです、ツァラトゥストラ、あなたの言うことは真実だ。
わたしが高くのぼろうとしたとき、
わたしはわたしの破滅を求めていたのだ。
そして、あなたこそ、わたしが待っていた稲妻なのだ!
まったくそうだ、あなたがわたしたちのもとに姿を見せてからは、わたしの存在などは難だというのだ?
あなたへの嫉妬こそ、わたしを打ちのめしたのだ!」---こう青年は言って、はげしく泣いた。
ツァラトゥストラはかれの肩を抱いて、連れ立って歩いて行った。

以上は、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」よりの抜粋です。

超人か狂人か

「神は死んだ」という衝撃的なことばや
自らを「ツァラトゥストラ(超人)」と呼び、
人々を畜群と切捨て、「この地上には生きるのをやめよ、
と説教されていいような者が充満している。・・・
彼らがこの世の生命から誘い出されてしまえばいい」など、
ユダヤ人を抹殺しようとするナチズムの宣伝にも利用されたような文章は、
大きな誤解と危険に彼をさらしたように思われえる。

ニーチェは日本でも、よく知られたドイツ人哲学者であるが、
思想家や著作家への評価の
多くは、実際の書物を読んだことがない人々の的外れな批評であることもまた多い。
彼の言うの「超人」が何を意味するのか、もっとよく知りたいなら、
また、ニーチェの思想に興味を感じるなら、
その著作の一つを実際にお読みいただくのがよいと思う
。 哲学者の思想は、残された著作からのみ理解されるべきなのか、
それともその言葉を書き残した哲学者自身の生涯を通して、
すなわちその人格を通して書物を読むべきなのか、
ニーチェの場合、彼の生涯と人格を知ることが、
きっと意味のあることだとわたしには思われます。

ついでに付け加えておくと、「ツァラトゥストラ」の副題は、
「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」となっています。

このような「雷」のサイトで、ニーチェを批評するのは、分不相応なことで、遠慮しなければならないでしょう。

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