藤原道真は平安時代の秀でた学者、政治家である
承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月31日)
写真は天満宮
道真の左遷
道真を祀る北野天満宮では学問の神としてあがめられている。
彼は宇多天皇に重用され右大臣にまで昇るが、左大臣藤原時平にの策略でその地位を追われ、大宰府へ権帥として左遷され、そこで没した。(903年)
道真が失意の中、京の都を去る時の未練を歌った歌が、
「東風吹かば、にほひをこせよ、梅の花、主なしとて、春な忘れそ」
である。
歌に歌われたその梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛び梅伝説」も今に残る。
京都の災害は道真のたたり?
道真の死後、京にはたびたび厄災が発生した。時平の病死、醍醐天皇の皇子が次々に病死した。
写真は京都御所清涼殿
落雷の衝撃と恐怖
とくに人々に恐れの念を引き起こしたのは、京都御所・清涼殿への2度の落雷だった。
この落雷で、公卿2人が死亡し、その他多数の人がやけどなどの負傷をおった。
朝廷は、これらが道真の祟りだと恐れ、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。
これにより、道真の子孫もその地位を回復することになる。
さまざまな厄災の中でも、落雷は当時の人にとって、とくに衝撃的であり、
人々は「道真の怨霊」が雷神となって祟りを引き起こしたと恐怖に陥った。
天満宮建設は落雷の恐怖から?
道真の祟りを鎮めようと、京都の北野に北野天満宮を建立したことにより、
道真を「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まることになる。
道真が生前優れた学者・歌人であったことから、後に天神は学問の神として信仰されるようになっている。
これもまた歴史を変えた雷ということができるだろう。
次は百人一首に収録されている道真の歌である。
「このたびは幣もとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに」
カテゴリ: 記憶・記録に残る雷