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自己?非自己?:自己寛容

自己はどのように認識されるのか

ポール・エーリッヒは一匹のヒツジから赤血球をを取出し、もう一匹の別のヒツジに注射していろいろな変化を調べていました。
何週間か経つと注射されたヒツジの体内には必ず提供者のヒツジの赤血球を凝縮させ、溶血させる抗体ができていました。
これは、別のヒツジを使ってやってもみても同じことでした。
そこで、提供者の赤血球をもとの提供者自身のヒツジに注射して戻してみたのです。
何も起こらない。
偉大な思想家エーリッヒの「偉大さ」はここにあるのか? 彼には、この現象が不思議に思われた。
なぜ、同じ赤血球が自分に対しては抗体を作らないのか?
同じ赤血球がほかのヒツジでは抗体を作り、自分自身に対しては抗体を作らないのだろうか?
ある人にとっては、当たり前で何の疑問も感じないことをエーリッヒは不思議に思い、
「何が、自分自身と自分でないものを区別しているのか」という疑問を持ったのです。
ところが、彼は、自己に対して抗体を作らないのは、自己に対する抗体は、あまりに危険なため、生体は自己を認識する抗体の産生を自然に回避していると結論付けてしまったのです。
そして免疫学全体の方向は、彼の結論から、自己に対する抗体が作られる可能性について真剣に研究することをやめてしまいました。


自己とは何か?:まだ遠い謎

自己を自己と認識すること
当たり前のようなことだが、どうやってそれを知ることができるのか、ということはあまりにも深い謎だった。
自分の赤血球を一度体外に取り出し、もう一度自分の体内に注射しても、私たちの身体はそれを自分自身と認識する。
けれども他人の赤血球を注射すると、抗体が作られる。
それは他人の赤血球が異物とみなされるためである。
何が異物か、何が自分自身かを識別するものはいったい何か。
外部からの病原菌は常に変化し、私たちは新しい病原菌にさらされるが、未知の、初めての病原菌を異物とみなすのはどのような機能によるのだろうか。


フリーマーチンが見せた「自己」の一端

1945年、レイ・オーウェンはフリーマーチンの研究をしていた。
フリーマーチンとは二卵性双生児の牛で、雌雄一対で生まれたときに、雌の牛に発生する。
フリーマーチンは一つの胎盤を共有し、一つの血管で繋がれるため、血液細胞が混じり合い、血液を通してすべてのものを共有することになります。
その結果、X-X、X-Y染色体を併せ持つことになり、繁殖力のない外見だけの雌牛・フリーマーチンが生まれることになります。
場合によっては、二つの血液型を持つなど、極めて特殊な生き物になってしまいます。いわゆる「キメラ」のようなものになります。
フリーマーチンでは、生まれる前に2頭の牛の間で血液が混ざり合い、場合によっては異なる血液型が混ざり合うこともある。
さらに、造血細胞も混ざりあうため、本来、他者であるはずのものが、非自己であるものが、自己として受け入れられているのである。
オーウェンは、生まれる前に血液が混ざらなかったら、お互いの血液を他者とみなすことにも気づいた。
このことに「何か特別なこと」を感じ取った。
フリーマーチンで起こっていることは、互いに他者の血液を非自己としないことであり、免疫学的寛容といわれる現象である。
異物であるはずのものを免疫の防御対象としない、この相手の血液は他者であるのに、他者としないのである。
免疫的には、生まれる前に曝されたものは何でも「自己」であり、同じものであっても、生まれたのちに初めてさらされた場合は、非自己となる。


自己とは何かに対する一つの答え

オーウェンの結果をもとに、ラット・マウスの実験では生後1,2日目まではこの寛容の時期が継続することも確認された。
この情報は免疫の自己について、また自己寛容について重要な情報となった。

カテゴリ: 免疫発見とその歴史