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「免疫の働きと種痘の開発」の一覧

牛痘への注目

牛痘に感染した人が天然痘に強い抵抗力を持っていることに人々が気付きはじめていました。
現在では牛痘のウイルスと天然痘のウイルスの遺伝子の95%以上が同じであることがられています。
牛痘に罹った牛は、天然痘の軽い症状に似た症状を示しますが、重くはならないで、回復します。
また、牛痘に罹った牛は二度と牛痘に罹らないことも農家ではよく知られていました。

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人痘接種:反対する人々と推進する人々

人痘接種:ブームの陰で

どんなことでも新しい試みは反対に出会います。とくに人命にかかわること、人生観にかかわるほどのことでは、反対も激しくなります。
人痘接種は、ある意味で華々しい成功を収めました。
しかし、成功率は100%ではありません。天然痘の膿を健康な人に接種するという危険を伴うことでしたから、失敗は生命にかかわる可能性があります。<br /> そして、失敗は反対派の人々に加格好の攻撃材料を提供することになります。

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人痘接種:英国王室の決断

天然痘の流行の恐怖は人々を追い詰めた

メアリー・ワトレー・モンターグが英国で初めて人痘接種を行って間もなく、英国王室のキャロライン皇太子妃は、自分の娘たちに、人痘接種をしたいと思うようになりました。
英皇室が、まだ医療として確立していない人痘接種のような治療法(予防法)を採用したいと考えたということは、当時、天然痘の脅威がどれほど大きなものであったか想像させるのに十分なことといえます。

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人痘接種をヨーロッパに紹介した人:メアリー・ワトレー・モンターグ女史

メアリーは結婚後すぐに天然痘に罹り、一命はとりとめたものの、回復後の彼女の容姿は変わり果ててしまいました。
夫とともにイギリス大使として、コンスタンチノープルに赴任した彼女が目にしたものは、実に驚くべきことでした。天然痘患者の膿を採って、健康な人の傷つけた腕にその膿をすりつけるという人痘接種だったのです。これは、彼女にとって大変な衝撃だったと推測されます。

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天然痘と免疫発見の歴史:人痘接種

天然痘:いつかきっと罹る病気

17世紀のヨーロッパでは、天然痘は、死ぬまでには(天然痘で死ぬかもしれないが)きっと一度は罹る病気として、恐れられていました。
それほどに蔓延し、その上、問題は、天然痘は命の危険がともなうほどの病気であり、罹ると、顔や身体にはっきりとした目立つ跡が残ることでした。ある意味で、治ったあとも、かなり無残な姿になることでした。患者の死亡率は1/4を超えるほどだったということです。

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天然痘の根絶

種痘が世界に浸透

WHOの総会で「世界天然痘根絶計画」が可決されたのは1959年です。
その結果、世界各国で、種痘が行われるようになり、天然痘は、またたく間に、減少し、ついに、1977年ソマリアでの発生を最後に、天然痘は発生していません。
1980年、WHOは天然痘根絶宣言をするに至りました。これは人類が病を完全に制圧した最初の例です。自然界に天然痘のウイルスそのものが、もはや存在しないものとされているのです。

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人痘接種から牛痘接種へ:ジェンナーの功績

牛痘と天然痘の関係に注目したジェンナー

人痘接種に対して、牛痘に感染することで、天然痘への免疫を得ようとする試みが出始めますが、本格的に注目して研究をしたのが、ジェンナーでした。
彼は、人間の病気のいくつかは、家畜から人に移ったものと考えました。天然痘も、最初、馬から牛へ、そして牛から人へ感染したものを考えたのです。彼は、天然痘の免疫は牛痘接種でも可能に違いないと考えたのです。

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天然痘の発生の歴史

知られていない病気が人類に突然発生することがあります。
AIDSは古くからあった病気ではありません。UCLAの医師ミカエル・ゴトリーブによって1981年に初めて報告されたにすぎませんが、またたく間に人類を恐怖に落とし入れるほどの勢いで感染者が増加しています。
天然痘がいつ人類に入ったのかまったく不明ですが、エジプトのミイラ・ラメセス5世の顔や体には、天然痘の、それも強毒性の天然痘の痕跡があります。
マルクス・アウレリウスの死因は天然痘であったといわれています。

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免疫の記憶:記憶するのは脳だけではない

私たちの身体は、一度、異物に曝されると、次回はその異物に対して、免疫系の反応がより強力に働き、異物を撃退する。
はしかに一度かかると、二度かからないのは、以前かかったはしかを免疫が記憶し、もう一度はしかのウイルスが体内に侵入してきたとき、病気になる前に、免疫が撃退してしまう。「はしかに対して免疫がある」というとき、免疫のこの記憶力を指しています。

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免疫について認識の広まり:ヨーロッパを襲ったペストの恐怖

歴史を変えるほどの死者を出したペスト:黒死病といわれ恐れられた

ペストはヨーロッパでたびたび流行し、多くの人々の命を奪いました。1438年の流行で、イギリスでは人口の1/3が死んだといわれています。
このときも、看護にあたった修道士たちは、ペストにかかっても軽く済み、回復し、その後は再びペストにかかることがなかったといわれています。

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免疫についての歴史上最初の記録:ペロポネス戦争の疫病

古代アテナイの歴史家トゥキディデスはペロポネス戦争を実証的な立場から「戦史」として記録しました。
BC.409年カルタゴ軍がシラクサへ侵攻したときのことです。ところがこの戦争の中で、両軍に疫病が発生し、多くの兵士がこの疫病に倒れ、亡くなりました。そのため、カルタゴ軍は攻撃を断念して、撤退せざるを得ませんでした。
8年後、カルタゴは新しい兵士を集め軍を再編し、再び、シラクサへ侵攻を開始しました。
そして、恐ろしいことに、再び、両軍に疫病が発生してしまいます。

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